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ハレの日なんて多くない。
ケの日、日常と悩みを書いてます
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『イニシエーション・ラブ』 乾くるみ:著
イニシエーション・ラブ
乾 くるみ 原書房 (2004/03)売り上げランキング: 16,435


「そして最後に明かされる真相…。2度目にはまったく違った物語が見えてくる…。」
 最初にこの惹句を見てしまっていたのと、ミステリーというカテゴライズとで、眼を皿のようにして伏線を探しながら読んでいたので、引っかからずに済んだ(?!)。

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| 23:42| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
Ku:nel (クウネル) 11月号 Vol.10
Ku:nel (クウネル) 11月号 Vol.10 [雑誌]

 気になりつつ、パラパラとめくって斜め読みしつつ、(こんなの読んでる暇ないよなぁ)と、これまで購入の機会がなかった。
 あらためて手元に置いてみると、写真がキレイ〜、エッセイ、コラムの類が粋〜、本当の意味でこれぞ雑誌、という感じ。
 じゃあ他はなんだ、といわれれば、それは“情報”誌でしょう。
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| 23:40| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
軍隊は民間人を助けない
 昨日の某新聞を見ていたら、石川文洋さんのインタビュー記事が載っていて、タイトルのようなことを話しておられた。
 ここでの「軍隊」は、日本の自衛隊のことだ。
 と思う。

 これまで自衛隊は、実質的軍隊に違いないのに――いわゆる「有事」に備えて訓練を重ねてきたにも関わらず、表舞台に出るときには、災害救助隊のような役割をおおせつかってきた。
 新聞、テレビなどのメディアのニュースで、私たちが目にしてきたのは、そうした姿。なので、日本の一般庶民のなかには、警察の機動隊のような、ある種、民衆を抑圧するような組織とは逆に、せっせと奉仕するイメージができあがっていてもしかたがないだろう。
 いざとなったら、手をさしのべてくれる。あるいは、それ以上に、自分たちの盾になってくれるのではないか。

 それは違う、と断言する人を、近ごろはちらほらと目にしだした。
 憲法――とくに9条――を改変しようとする動きが激しくなってきたからだろうか。

 戦時中、中国大陸にいた日本人たちのなかで、敗戦が決定的になったとたん、民間人を見捨てて、真っ先に逃げ出したのが軍隊、軍人たちだった、という。統制がとれていればこそ、崩れたとたんにエゴが噴出する。そのいい事例だろう。また、統制がとれていても、とれていればこそ、戦闘を、敵だけを目標とするのが軍隊というものだ、ということなのだろう。

 「有事」って何だろう。
 アメリカ追従オンリーにならないために、自前の軍隊を持つべきだとは、あの宮台(真司)センセイも口にすることだけど。
 「備えがなく」、どこからかミサイルが飛んできて日本に住む人々が死ぬ? それに対抗すべく、アメリカが軍隊を出動させることになる?
 そのあたりの「からくり(政策?)」が、私にはよくわからない。
 「貢献」が世界に認められないのも、やり方――アピールの仕方を含め――が拙いだけではないかという気もする。

 イメージにとらわれることなく、きちんと考えなければならないことだと、あらためて思った。


 参考文献:
ベトナムロード(平凡社ライブラリー 194)
石川文洋著


| 10:14| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
『ななつのこ』 加納朋子作
ななつのこ(創元推理文庫)
加納朋子著


 ネット書店の推薦文を見て読み出した本。
 評判どおり、とても楽しいお話でした。
 第3回鮎川哲也賞、受賞作品ですが、いわゆるミステリーとは、少し雰囲気が違うかな。狭義のミステリーですけどね。
 私自身は、カテゴリーなんてどうでもいいと思うし、近ごろの枠付けは、よくわからないところが多いですけどね。舞城王太郎が純文学だったり、伊坂幸太郎がミステリーだったり。
 それはともかく、日常のちょっとした“謎”を扱う手段は、とても巧みで、前半はぞくぞくしながら読んでました。。
 小さな話がひとつひとつ完結していて、それが有機的に繋がってゆくという連作ものなのですが、後半は少し、ミステリーとしてはダレた感がありましたが、長編として考えると必要なんですよね。

 駒子なんて、ちょっと古くさい名前の短大生が主人公で、ほんわかしすぎているところが最初、とっつきにくい感じだったんですが、彼女にぴったりの“お相手”が登場、かわいいラブストーリーとしても読めます。
 探偵役は駒子ではなくて、彼女の好きな童話の作者。この人も、ラストではあっと驚く存在として立ち現れてきて。
 最近は「癒し」という言葉が流行――近ごろは食傷ぎみで、死語に近くなってきたかな――だけど、こういったタイプもまた、心を温めてくれるものだと思うけど、どうでしょうか。

 私は、『白いタンポポ』というお話が、好きでした。出てくる女の子が、自分自身を見ているようで……。
 駒子があったかく少女に接するんですが、(幼いころの)私にもこんな人がいたらよかったなぁ、と思ったら、泣けてしまった……。


 図書館で単行本を借りて読んだので、文庫版のあとがきなどがどうなってるのか、知らないのだけど、受賞の際の選考委員のコメントが載っていました。
 いろんな読み方があるんだなぁというのが感想ですが、これが世に出てよかったなぁ、と思います。bk-1で検索したところ、今ではずいぶん著作が増えているようですし、精力的に書いていらっしゃるんだなぁ。
 順に読んでみたいと思います。

| 13:53| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
市民の度合い
 「民度」ではなくて、「市民度」と言うべきだったのかも。
 宮台真司センセイ。

 今朝の朝日新聞の大江健三郎氏のコラムで、「民度という言葉は、民俗学者柳田国男が、その全著作に一度も使っていないことでもわかる、差別的な表現〜」とあって、へえ、と思った。
 上記にも書いたように、ミヤダイ先生が、何かとこの「民度」という言葉を使って、さまざまな事柄に対する日本人の対応の仕方を批判していらっしゃるので。

 いや、実は私も、けっこう熱心なミヤダイファンなんだけどね。
 賢い宮台センセイのことだから、そんなことは先刻承知、挑発のためにわざと使っている、てなところだろう、とは思う。
 日本の一般大衆のバカさ加減に、かなり苛ついていらっしゃるようすは、よく理解できる。「なんでこんなこともわかんないんだー!」 「どうして、自分で考えて自分で行動する、って簡単なことができないんだ!」
 一般庶民の一員である私でさえ、そう怒鳴りたいことが、この国には多すぎるから。

 そうは言っても、やはり知的階級、論客、評論家、の人たちの、頭(だけ)で考えた論、というのには、全面的に賛成できないことも多い。
 たとえば、
 ミヤダイ先生の改憲主義には、ちょっと距離を置きたい。

 むろん、センセイの場合は、9条だけを取り上げているわけではないけれど。
 政治的な論点から言えば、アメリカにおんぶにだっこの平和主義では、この先、なんともならん、と言われる意図は、よくわかる。
 世の中は、表面に見えてることだけじゃなくて、裏があるんだよ。その裏の裏まで見通して、考えて、主張していかなければならないんだよ、ってことは。

 とはいえ、女性としては、以前、同じ朝日新聞のコラムで赤坂真理が、若い人向けに書いていた、
 「いざ有事=戦争となったら、そういう大人自身が、戦いに行くんじゃない。きみたち若者が最前線に行かされるんだ」
 という一文の重みを、充分に考えていきたい。
 と、思う。


 参考文献:
 ヴァイブレータ

 絶望 断念 福音 映画(ダ・ヴィンチブックス)

| 16:51| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
近ごろ、怠っていること
 しょっぱなから何だと言われそうだけれど、やらなくちゃ、と思いつつ、手がつけられないでいることの多いこと。
 早急な件は、
 メル友に返事を送ってない。
 文章サークルにしばらく出ていない。原稿も書いてない。ついでに講師にもなしのつぶて。
 家の中では、
 掃除洗濯はさることながら(?)、写真の整理、いらないものの片づけ、部屋の模様替え。
 そのうち、といいつつ、
 (ほったらかしの)HPの管理、だらだらと続けちゃってるメールサービスの見直し。
 購入した本もたまってるし、図書館から借りてきた本も積ん読。
 趣味のビーズも、ちまちまとしか進んでないし。
 優先順位をつけて、いっこいっこクリアしていかなきゃだめだよ、とは思うんだけどね。
| 19:23| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
アイ、ロボット(映画じゃありません?)
 四十路も半ばにさしかかった今ごろ、ようやく自分自身の体について、実感がわいてきたような気がする。
 食べて出して、寝て、起きて。そうしたことのひとつひとつが、この私自身がやっていることなのだ、この私の頭脳が命令を出して内蔵を動かし、血液をすみずみまで運んで、神経を、筋肉を動かしているのだ。

 そんな当たり前ともいえることを、自分自身のこととして実感するまで、ずいぶんかかった。ということは、私の精神は眠っていたのか。
 それとも単にガキだっただけ?

| 08:56| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
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