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ハレの日なんて多くない。
ケの日、日常と悩みを書いてます
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キャットタワー
 買っちゃいました。R天の共同購入で。
 だって、安かったんだも〜ん。某通販会社のカタログに載ってたのと同じ製品で、2〜3割引くらいの値段で買えた。通販会社のは送料上乗せだったけど、R天のほうは、無料! さんざん迷った甲斐があった(?)よ。

 モノは天井につっぱり式の登り木。枝の代わりに寝られるお皿?とか、うろみたいな穴がつけてある。
 まだちっちゃいから、てっぺんまでは上れないと思うけど、幹にあたる支柱に麻縄がまいてあって、爪研ぎができるよういなってるから、これは助かる。
 さっそく、パリパリやってました。
 ネコは3D空間、つまりは中空が好きだというから、気に入ってくれるといいな。

 
| 09:57| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
“いい学校”へ行かせたいのは
 郊外だからなのか、それとも、まだまだ全国的には相変わらずな傾向なのか。
 子どもの話だと、6年生くらいから、塾に通いはじめる子がふえた。地元には、ぱっと思いつくだけでも5〜6校はあって、その周囲の道路では、夕方から夜にかけて、送り迎えの車で渋滞するほど。(狭い田舎道だからだけど)

 かくいうウチも、学習塾ではないにせよ一校、通わせてるし、添削のテキストはとってる。「勉強」に関してついついうるさく声をかけてしまうクチだから、そういったことを批判するつもりなんてまったくない。むしろ、あれこれ迷いが生じて、いろいろ考えてしまっている。

 『13歳のハローワーク』が売れているところを見ると――職業案内、という意味でもあるだろうけれど――、「これからは学歴の時代じゃない」という言説は、たしかなことなのだと思えてくる。べつに子どもにエリート・コースを進ませたいわけではないのに。
 (この辺だと)名大出身、南山大出身、だから、すごい生き方をしてる(いい会社に入ってキャリアを積んでる、あるいはバリバリ稼いでる)わけではない、ってことは、私の狭い知り合い関係を見渡してもわかる。
 では、なぜ、そんなにも力を入れてしまうんだろう。

 一つには、宮台真司も書いていたように、「中学生生活をなんとか乗り切るため」だ。勉強がわかんなくて、ついていけなくなって、ついにはドロップアウト、落ちこぼれになってしまい、あとはダラダラとすることもなくやり過ごすだけ、の生徒を少なくするために「ゆとり教育」が生まれたのではなかった?

 だから、塾など行かなくても、もう大丈夫、落ちこぼれを作りません、ていうハズだったんだけど――実際、いわゆる落ちこぼれ、という存在は減ってるみたいだけど――でも、やっぱり、先生たちは点数上げろとハッパをかけるし、塾や市販の教材は偏差値でものを言う。

 子ども自身も、中学校があまりに“いい加減”なので、せめて高校くらいはまともな、楽しく過ごせるところへ行きたい、と考えているみたい。
 だからこそ、こちらも、思わず握り拳をにぎってしまう……。

 ああ、堂々巡り。



| 11:29| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
密かに
 日記サイトのことごとくがウェブログ化してる昨今、ブログ作ったよ〜といってくる知り合いもいる。
 けれど、私のこのサイトは内緒。ヒミツ。
 かなり“根っこ”に近いことまで書いているので、近親者?に知られるのは困るのだ。「え〜、こんなヒトだったのォ?」「こんなこと考えてたなんて」てなことを(口で言われなくても)思われるのはイヤ。
 その伝でいくと、どこかの投稿欄とかサークルに送ったエッセイなんてのは、かなり格好つけてることになるのだな。本音には近いけれど、口当たりのいい論で飾った“美文”。(べつに麗々しく書いている、という意味ではない)

 昔、通ってたエッセイ講座の講師がいっていたけれど、「作品」として完成させなければならない、と。
 読者の存在をたえず頭に入れて、あまり身勝手なことは書いてはいけません。
 そりゃそうだ。
 反発されるのがオチだし、原稿用紙をビリビリにされるかもしれない。
 「あいつ、殺してやりたい」なんてことを書こうものなら、病院に行きなさい、といわれるだろう。
 とはいえ、ネット上には、この私みたいに、イジイジと自意識過剰な“こもり文章”、愚痴を垂れ流している者がいるのも事実。
 自分チのチンケな大学ノートにつらつら書いてれば済むものを、わざわざ“全世界に開かれた”ネット上のページの上に書き込んでいるのだから。資源?の無駄遣いとはこのこと。いや、世の中にとって害毒かもしれない。
 まぁ、そんな意識もあるもんだから、なるべく知り合い?には教えないようにしているのでありました。
 (もちろん、こんなのも言い訳だぁ〜)
| 14:50| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
忘却――したいのかも
 朝、バタバタと立ち働いているときに、いろいろ書きたいことが思い浮かぶ。
 けれど、ひととおりの作業が終わって、ホッと息をつき、テーブルに向かってPCを開くと、もう忘れている。
 いやになるなぁ。
 もしかして、薬のせい?
 セディール錠の効きがわるくて、残っていたデパスに変えたとたん、劇的に症状が改善された。なにかしらイライラして自分をコントロールできなかったのが、とてつもなくゆったりとした気分になって、自分でも嘘みたい、と感じるほど慈悲深く?なって。(どちらも精神安定剤です――私は一応、肩こり、頭痛防止のためにもらってるんだけど)
 でも、その分、緊張感が薄れ、記憶力が低下してしまったらしい。
 うまくいかないもんだ。


 目覚まし代わりのFM放送で、窪塚洋介がマンションのベランダから落ちた、と言っていた。飛び降りかもしれない、と。
 皇太子の人格否定発言、佐世保の小6の女の子の殺人、そして、これ。なんだかやりきれない事件(私的には)が続く。人が人を、自分を、ちゃんと受け止められない。そんな時代の空気を感じる。

 だって、どうしようもない。
 どうせ、変わらない。
 すでにできあがったシステムは、容易に変えられない。
 “運動”なんてできるキャラじゃないし、周囲ににらまれるのもイヤ。
 「どうにかならないの」と叫びたいことは山ほどあるけれど、どうすれば変わるのか、よくなるのか、わからない。
 そんな、やるせなさ。
 あきらめ。
 無気力。
 私という人間の、根本的な力のなさ。

 足下でコロコロと走り回って遊んでいる仔猫たちが羨ましいよ。


| 11:27| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
イライラ
 どうも、このところ、リズムが合わない。
 こっちがのんびりしていると、向こうがイライラ。向こうがほのぼのしているとき、私がイライラ。
 もともと、私の体調に波があることもあって、子どもがこちらの様子をうかがうようなことが多かったのだけど、やっぱりそれが影響というか、よくなかったようで――あたりまえか――長じて、うまくいかなくなってきてる、気がする。

 「ダメだ、こんな言い方をしては」 子どもが小さいとき、なにかわるいことをして叱るとき、言い聞かせているつもりなのに、徐々に激高してきて、ひどい言い方をしてしまうことがあった。
 次は直そう。

 次は直そう。それを繰り返してきた結果、今の子どもがある。
 「ダメだ、こんなことでは」 近ごろでは、口が達者になってきて、こちらがカチンとくる言い方、ぐうの音も出ない内容を向こうが言ったりする。そのたびに、冷静さを失って、まさしく売り言葉に買い言葉的なやりとりをしてしまう。
 そのたびに、(相変わらず)反省するのだけど。

 私自身の理性が私を制止できないとき、いっそカウンセラーみたいな人にかかったほうがいいのかな、と考えるのだけど。




| 16:35| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
痛ましい事件ですよね

 佐世保の事件、やりきれない気分です。
 おりしも、うちの娘も、似たような友だちとのトラブルがあったばかりなので、とても人ごととは思えません。
 似たような、とはいっても、うちの子はネット上のトラブルというわけじゃない。面と向かってイヤなことを言われて、むかっ腹たてて、「殺してやりたいと思った」。

 もちろん、この年頃の子のこと、言葉は額面どおりには受け取れません。ボキャブラリーも貧困だし、自分の気持ちを鎮めるために、わざと大げさな――というか、激しい、ことを言っている、ということが多い。

 大人ほど視野が広くなく、住んでいる世界も狭い。想像力も足りないために、「殺してやりたい」という気持ちが、本当は、ただ「自分の前からいなくなってほしい」程度のことだと気づいていない。

 なので、短絡的にナイフを振りまわしてしまったのでは。
 自分の言葉に呪縛されたとも言える。
 そんな解釈は不謹慎だろうか。

 一方で、それほど今の子どもたちは、「囲われ感」が強い、という気もする。
 今、この場所からどこか遠くへ? そんなこと不可能。いや、どこへ行っても同じじゃないの。

 閉塞感という言葉がメディアで踊っているけれど、もしかしたら、この言葉をいちばん強く、とても残酷に受け止めているのは、子どもたちでは。
 だとしたら、やはりそんな言葉をもてあそぶ大人たちの責任はとてつもなく大きい、と言わざるを得ないな、と。



| 18:00| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
夏と冬と移行期間
 という風に感じる、今日このごろ。
 いきなり暑くなったと思えば、今朝は寒いくらい。
 たしかに、5月中は、すごしやすい気候だったといえるけれど、6月となればなんと言っても梅雨! ちょうどいい気候のときがひと月ほどしかないというのは、やっぱり“移行期間”としか言いようがないよなぁ。

 てなことを考えていたら、衣類の通販会社から「夏向き」のカタログが届いた。
 これまでは「春夏」号で、盛夏となれば、それ専用の号が必要、ということ。
 のであれば、やはり「夏と冬」ふたつしか季節はない、日本には。

 などと言うことを、“暑がり寒がり”の私としては、ほざいてみたくなるのであった。


| 14:13| サヤエンドウ| comments(0) | trackbacks(0)
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